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2012年、国際連合の安全保障理事会はシリア政府を非難する決議案などを提示しますが、ロシア、中国が拒否権を発動して否決されました。
国際機関が様々な動きをしますが、シリア国内の激しい戦闘は終わることがありませんでした。 アサド政権打倒を目指す米国、英国などは反政府勢力に非軍事支援を行います。 2013年、シリアのアサド政権の化学兵器使用を根拠に米国、フランスが武力行使を主張しました。 これに対してロシア、中国が反対します。 ロシアはシリアの化学兵器を国際管理下に置き、シリアが化学兵器禁止条約に参加することを要請しました。 これに対してアサド大統領は要請に応じる用意があると回答します。 化学兵器廃棄に向けて米国とロシアは同意しました。 これにより米仏による攻撃は回避されたのです。 9月30日には化学兵器禁止機関による査察が開始されました。 大国による武力介入は阻止されましたが、反政府武装勢力との泥沼の戦いは続きます。 「シリアの春」はまだ遠い。 このブログの情報ソースはこちら PR |
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アサド家による長期独裁政権を終わらせ民主化を求めるシリア国民の切なる願いは戦乱へと移行していきました。
武装した集団はシリア政府はサラフィー主義のイスラム教徒たちであると主張しています。 アサド大統領は2011年7月、「国民との対話」を開くと表明しました。 しかし、野党勢力は「抗議行動に対する弾圧と政治犯の釈放」に応じなければ対話に参加しないと表明します。 アサド大統領はバース党の優位的な地位の撤廃を認めて国内での結党を認める法案を可決しました。 そして選挙の実施を表明するなどの妥協案を示しました。 8月には複数政党制を認める憲法改正を認めることを明らかにしました。 アサド大統領は国連のバン・ギムン事務総長に「反政府抗議行動に対する軍や治安部隊による作戦は停止した」と伝えるものの、それ以降も軍による弾圧の死者は増え続けました。 10月に国際連合の安全保障理事会決議採択が行われました。 シリア国民に対する同国当局の弾圧を非難する決議に9ヶ国が賛成、4ヶ国が棄権しました。 シリアの友好国であるロシアと中国は拒否権を行使しました。 まとめてみると、米国、英国、フランスなど欧米諸国はシリアの問題の責任はシリア政府にあり、圧力をかけるべきだという考えに対し、ロシアなどはシリアの各勢力に対して交渉のテーブルにつかせるべきだという点で考えに開きがあるようです。 見かねたアラブ連盟がシリアの加盟国としての立場の停止と政治的・経済的制裁を課す動きに出ました。 12月、アラブ連盟はシリア政府が平和的な解決を目指して流血を止めようとしているのか確認するための監視団を送りました。 国際社会はシリア問題を解決するため、様々な努力をしました。 しかし…。 外国の武装組織の流入が更に混乱に拍車をかけてしまうのです。 このブログの情報ソースはこちら |
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2011年1月…チュニジアで独裁者が追放されました。
「ジャスミン革命」と呼ばれる市民革命が起きたのです。 これをきっかけに中東で民主化運動が瞬く間に広がりました。 「アラブの春」と呼ばれるものです。 そして、そのうねりはシリアにまで到達したのです…。 シリアにおける民主化運動は最初はささやかなものでした。 焼身自殺による抗議表明や国外の小規模な抗議運動などです。 運動が勢いを得るには時間がかかりました。 そして…。 3月15日にシリア各地で大規模な民主化デモが頻発しました。 シリア政府は軍により制圧しようと試みるものの、デモは拡大を続けました。 アサド大統領は200名以内の政治犯を釈放し、更に時間を置いて長年続けていた非常事態法を撤廃しました。 しかし、デモは収まることはありませんでした。 シリア政府軍によるデモ隊に対する暴力的な弾圧は激しさを増しました。 国際社会はシリアを批判しました。 シリア政府は「イスラム主義者の扇動による暴動」と主張しました。 そして反政府抗議者の中に武装した集団が現れはじめました。 これによりシリアは迷宮から抜けられなくなるのです…。 参照したソースはこちら |
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去年、シリアを本拠地にするテロ組織・IS(イスラム国)が世界的に大きな問題になりました。
そして多くのシリア人が内戦を逃れてヨーロッパ各国に多くの難民となって押し寄せました。 なぜこんなに大混乱に陥ってしまったのでしょう。 この国は強権的な独裁者が支配していたはずです。 現在の大統領は2000年に先代のハ―フィズ・アル=アサド大統領が死去して息子のバッシャ―ル・アル=アサドが大統領に就任しました。 まるで北朝鮮のような世襲ですね。 しかし、後継したアサド大統領は強大な権限は行使せず、バース党による集団指導体制を行いました。 そして腐敗政治を一掃し、欧米との関係改善などを行うなどの改革を行いました。 「ダマスカスの春」と呼ばれる改革です。 しかし、バース党の守旧派などの抵抗などで思うように進展せず、米国によるイラクのサダム・フセイン体制の崩壊による警戒から一転して引き締め政策が行われるなど逆行してしまいました。 そして、「アラブの春」による民主化運動をきっかけにした混乱が始まってしまうのでした…。 参考にしたソースはこちらです。 |
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日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故を思い出しました。 想像以上に散乱してます。 激しい衝突だったのだろうと推察されます。 「日本人はいない模様」と安心させておいて「2人搭乗していた」と驚かせるニュースが続いてしまいました(チュニジアのテロもそうでしたね)。 犠牲になられた方の心よりのご冥福をお祈り致します。 心が痛みます。 |
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